に いびょーご(現地モレ語で「こんにちは」)!
コンゴ民主共和国への引越しが来週にせまり、ムスメたちはブルキナファソの幼稚園での最後の登園日を迎えた。
今日は2年間通った幼稚園の最終登園日の母としての思いをつづりたいと思います。
通っていたのはフランス語の幼稚園
2年間通っていた幼稚園。

ブルキナファソには英語の幼稚園がほとんどなくて、インターナショナルスクール以外は、フランス語、もしくは英語・フランス語のバイリンガル幼稚園だけ。
- 家から近い(車で10分)
- 衛生・設備面がきちんと管理されている
- インターナショナルスクールやバイリンガルスクールに比べて学費が安い
っていう理由で決めた。
幼稚園がキライだったムスメ1号
3歳のころから、今の幼稚園へ通っていたムスメ1号。

とにかく幼稚園へ行くのがイヤで、毎朝泣いていた。
もう何年も通っているのに、なかなか慣れず、朝幼稚園へ送りにいくときのワタシの精神的ダメージがとても大きかった。
「ママが好きなんだね」
「きっとすぐ慣れるよ」
いろんな人に、そんな言葉をかけてもらったけど、ずっと心の中でひっかかってた。
ここが日本じゃないから。
日本人はおろか、アジア人もいない幼稚園で、ムスメたちが圧倒的なマイノリティだったから。

行ぎだぐない〜!!!!!
って泣かれるたびに、

もしかしたら、いじめられてるのかな?
フランス語がうまく話せなくて、からかわれているのかな?
って、ムスメ1号が幼稚園に行きたがらない理由をいろいろと考えてた。
自分の子どもがマイノリティだから、大泣きしながら幼稚園に “行っている” 我が子を見て……
いや、
“行っている”というよりも、
“泣きながら幼稚園の門をくぐり、教室に入ることを拒絶して、外に座り込んだり、出口へ走って脱走を図ったりしたあとに、柱にぎゅーっとしがみついているところを先生にひっぺがされて教室へ連れていかれている”
我が子を見る精神的ダメージが大きかった。
「いつか慣れるだろう」と思いつつも、朝、大泣きしながら、先生に抱きかかえられて、教室へ連れていかれるムスメ1号を見送ると、なんだか申し訳ない気持ちになったり、

大丈夫かなぁ、まだ泣いてるかなぁ
って、1日中気にしたりしていた。
いっぱいできたお友達
でもワタシの心配をよそに、迎えにいくと、いっつも友達と楽しそうに遊んでいた1号。

「1号、1号〜」
っていろんな友達が名前を呼んで、1号のもとに集まってくれていた。
みんなにもみくちゃにされながら、すごくうれしそうな1号。

(そして、もっとうれしそうな顔をしながら写真を撮るワタシ。笑)
大人のワタシが勝手に気にして壁を作っていただけで、子どもたちにとっては、肌の色のちがいも、言葉のちがいも関係ないんだということに気づかされた。
すっかり慣れた幼稚園
気づけば、家でフランス語の歌を歌うようになり、友達のことを話すようになってきたムスメ1号。
週末に、お互いの家で遊びに行き来しあえる友達もできた。
現地の幼稚園だから、もちろん給食は現地食。
とうもろこしをねったモチモチの「トウ」と呼ばれる主食に、バオバブソースがかかったごはんや、「リ・グラ」と呼ばれる油で炒めたピラフなんかを食べていた。
ムスメ2号にいたっては、フォークやスプーンを使えるのに、家のごはんも手で食べるようになって、

フォークを使わないの?

だって、先生たちも手で食べてるもーん!
なんていうやり取りまでするように。
(こう言われちゃうと、何も言えないよね。苦笑)
日本人がだれもいない幼稚園、それも100%フランス語の環境に毎日飛び込んで、がんばってきたムスメたち。

よくがんばりました♡
この2年間で、2人はココロもカラダも大きく成長した。
ブルキナなまりのフランス語を話し、西アフリカの伝統打楽器「ジェンベ」をたたき、手でごはんを食べちゃうムスメたち。
そんな2人がほこらしくて、とっても愛おしい。

ブルキナファソの幼稚園事情については、OVER THE BORDERのサイトに連載した記事があるので、興味がある人は、ぜひこちらも読んでみてね!
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