ンボテ(現地リンガラ語で「こんにちは」)!
アフリカで駐在妻になってから、7年。
ベナン共和国、ブルキナファソ、コンゴ民主共和国と日本人が少ない国で、育児に駐在生活に悩みもがき続けた7年だった。
今日はアフリカ駐在妻として、ワタシがこれまで感じてきたこと、ぶつかってきた壁をありのままに書き出してみようと思う。
※アフリカには54の国があり、きっとそれぞれに生活環境がちがい、それぞれの人によって感じ方もさまざま。これはベナン、ブルキナファソ、コンゴ民主共和国で暮らしてきたてんやわんやママが感じてきたことを書いています。個人の主観満載の記事であることをご了承ください。
アフリカ生活の根幹となっているボランティア時代
まずは、今でもワタシのアフリカ生活の根幹となっている2年間について。
2010年から2年間、JICAの青年海外協力隊としてザンビアへ。
任地は、首都から7〜8時間かかる日本人がだれもいない町。
その町のバスの終点でもたどり着けないような小さな小さな学校に派遣され、そこで2年間活動した。

自分たちの校舎もなくて、教会を借りていた。

水も電気もないから、毎日学校の裏から井戸で水を汲んで、

重たい水を生徒たちが一生懸命に運ぶ。

机がないから、生徒たちは教会のベンチを向かい合わせにして勉強する。

先生の数も黒板の数も足りないから、真ん中に線をひっぱって、左が2年生、右が4年生と、ひとつの黒板で2つの学年に同時に授業をやっていた。

文句をいう生徒はだれもいなくて、みんな一生懸命に授業を受けていた。
一生懸命な生徒たち、明るくひょうきんな生徒たちの笑顔に励まされたり、同僚の先生たちと本気でぶつかってケンカをしたり、生まれてはじめてのアフリカ、あまりの文化の違いに茫然として、日本に帰りたくてしょっちゅう泣いてた2年間だった。

何度も日本に帰りたいと思ったり、断水が続いて4日間お風呂に入れくなったり、停電が続いて、携帯の充電すらできなくなったこともあった。
学校が貧しすぎて何度もつぶれたり、追い出されそうになったりしたけど、その度になんとか踏ん張って、
先生と生徒さえいればどこでも学校になるんだ
ということを学ばせてもらった2年間だった。
アフリカ駐在妻するということ
それから日本へ帰って就職もしたけれど、てんやわんやパパと結婚して退職。
2015年、当時てんやわんやパパが働いていたベナンへ。
これが、アフリカ駐在妻生活のはじまり。
それからブルキナファソ、コンゴ民主共和国で生活してきた。
ワタシの立場は、世でいう駐在妻(駐妻)ってやつ。
〈世の中の駐妻へのイメージ〉
- キラキラしている
- お手伝いさんがいる
- 在外勤務は高給取りでエステに駐妻同士でランチ、習いごともやっている
っていう感じらしいね。
うん、たしかにお手伝いさんはいる。
すっごい助けてもらっている。
日本人マダムと一緒に、時々ランチにも行く。
でもね、ブルキナファソにインスタ映えしそうなおしゃれなレストランはなかった。
コンゴでは、高い物価と治安の影響で、ほとんど外食をしない。
ブルキナファソでいちばんオシャレであろうカフェは、2016年にテロがあって20人の犠牲者が出ている。
ワタシたちがブルキナファソに赴任した2017年以降も2回テロがあって、治安はどんどん悪化していった。
外国人がよく集まりそうな素敵なお店には、なかなか行けなかった。
日本にいると地震や台風、自然災害が怖いけど、ここでは交通事故と病気、犯罪、テロが怖いかな。
てんやわんやパパが出張で泊まりのときは、小さなムスメたちを抱えて、とっても不安になる。
ワタシが何よりしんどいのは、
娯楽がないこと。
娯楽って、人それぞれの価値観でやるものだから、ジムに行ったり、現地のアフリカ布を見に行ったり、人によっては
「ブルキナファソ、たのしい!」
「コンゴ、たのしい!」
って思える人もいるかもしれない。
でもワタシにとって、気分転換できる場所はない。
外に出かけるところがないから、必然的に家族、とくに夫と一緒にいる時間が長くなる。
だから、夫婦関係もうまくやっていかないとキツい。
ただでさえ不便な生活と娯楽のない生活、育児でイライラしがちだからね。
夫婦ゲンカしたときのアフリカ生活、マジでしんどい。
あとは日本からの距離が遠いせいか、置いていかれている感覚がものすごい。
これ、うまく伝わるかな。
とっても遅いインターネットを使ってYahoo!ニュースは見れるけど、日本の流行の服や新しいお笑い芸人もわからないし、友達にも会えない。
日本では、キャリアアップしていく同期たちがいる中、仕事を辞めたワタシの職歴はblank(空白)のまま。空白の期間だけが、どんどん更新されていく。
日本にいたら、育児についてママ雑誌を読んだり、ママ友に会って情報交換したりできるかもしれない。
自分はベナンに来てから何も変わらない。
いくらネットで検索してみても、ブルキナファソとコンゴでの育児情報は出てこない。
アフリカの日差しにやられてシミ・そばかすがどんどん増えて、日本のような美容院にも行けないからどんどんとみすぼらしくなる。
フェイシャルマスクも日本人にあった美容品もない。
年中暑いから、日本から持ってきた同じ服を毎日着まわして、白い服がどんどん茶色くなっていく。
どんどんすたれていく。
身も心もどんどんすたれていく。
アフリカ駐在生活で負のループに入り込んでしまったら、自分で自分を上げていかないと、どんどんしんどくなっていく。
あとさ、女の人っていろいろあるよね。
ホルモンバランスとか、気分の浮き沈みとか、生理前の止まらないネガティブとか。
そういうときにムスメたちがギャーギャーなったり、てんやわんやパパとうまくいかなかったり、
ずっと待っている電気修理工が来てくれなかったり、
断水で家のポンプが調子悪くて水が出なかったりすると、
さらにダメージが大きくなる。
世間でいわれているようなキラキライメージはどこにもない。
日本人が少なくて、娯楽がなくて、出かけるところもなくて、ずっと家にいる孤独との戦いみたいなもの。
アフリカで駐在妻するって、ワタシにとってはそんな感じ。
もちろん、こういう環境で仕事をしているてんやわんやパパの方が大変なんだろうけど、日中ずっと家にこもって、日々だれにも認めてもらうことなく、小さな子どもたちと過ごすのは大変。
(子どもたちがイヤイヤ期のときは、それはそれは大変だった)
子ども以外のだれとも話さない日なんて、ザラにある。
イライラしたり、落ち込んで、てんやわんやパパに泣きついたりすることもある。
(それで、ちょっときびしめのてんやわんやパパに怒られて自分のダメさをますます思い知り、アフリカで余計落ち込む。笑)
それでもアフリカ生活を嫌いになれない理由
でも、このアフリカ生活をなんだかんだ楽しめているのは、間違いなくザンビアで過ごした2年間があるから。
ボランティアとして、ひとりでぽーんと現地のコミュニティの中に入って、彼らの生活を見てきたから。
現地の市場に通って、現地語で世間話をしながら、水も電気もない彼らの生活を経験したから。
彼らがあったかいことを知っているから。
はじめてのアフリカ生活で戸惑っていたワタシをあたたかく受け入れてくれたザンビア人の友人たちがいるから。
日本にいたら出会えないような人たちにたくさん出会えるから。
アフリカで育児する
なんていう経験もなかなかできないしね。
さて、
- 資格、キャリアなし
- 趣味なし
- 特技なし
- 勉強は苦手
- めんどくさがりや
- 言い訳ばっかり
で、しょっちゅう落ち込んでばっかりのワタシ。
アフリカ生活がどれだけ長くなってもこうやって悩んでいる姿を伝えながら、あとはアフリカ育児のてんやわんやぶりをたくさん発信しながら、落ち込んで、悩んで、負のループにはまりながら、少しずつ前へ進んでいこうと思う。
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